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「お洒落は足元から」の意味を、革靴を通じて語ってみた。

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「お洒落は足元から」と言われるように、足元を見ればその人のお洒落さが分かる。足元とは、靴を指している。男目線になるが、靴と言えば、やはり革靴だろう。つまり、革靴を見ればその人のお洒落への意識が分かってしまうというわけだ。
今回は革靴の美について書きながら、「お洒落は足元から」の意味を探ってみたいと思う。

革ならではの艶と輝きを放つ靴、革靴。履くほどに硬かった革がしだいに伸び、足に馴染んでいく。〝育てられる靴“と言えば、革靴しかない。そんな革靴も手入れを怠れば、艶も輝きも消え失せ、形も崩れてしまう。それもそのはずだ。革靴は土ほこりをかぶり、日差しにさらされるなどの過酷な環境に日々さらされているのだから。

革靴の美しさを保つには、日々の手入れは欠かせない。
一日履いたらほこりを軽く拭き取り、二日間は休ませ汗を乾燥させる。履かないときはシューツリーを入れ、形を保たせる。

革の表面の手入れも怠らずにしなければならない。
表面の手入れは、ただクリームを塗ればいいというものではない。まずは、全体のほこりを馬毛ブラシで落として、細かいコバ周りのほこりは細いブラシで落とす。それからクリーナーを使い、革の表面の汚れを落としてゆく。次にクリームを革靴全体に塗り、豚毛ブラシでマッサージしながらクリームを馴染ませる。最後に乾拭きをして終わりだ。

革靴の手入れは、意外にも多くの工程と道具がいる。また、素材によっても手入れの頻度や方法が異なるため、自分の持つ靴について知らなければならない。これほど手のかかるファッションアイテムは他にないだろう。しかし、この手入れをするだけで、艶と輝きは驚くほど変わる。数年前の靴を新品と見間違えるほどだ。革靴の艶と輝きは、しっかりと手入れがされている証である。

お洒落とは、華やかな服を着たり、飾りつけるだけを指すのではない。目に見えない部分にどれだけこだわるかがお洒落であり、美意識だ。着飾ることは誰にでもできる。しかし、スタイルや肌の艶を維持するには、日々の努力がいる。そうした見えない努力が、徐々に大きな差となり表面に表れてくる。

男が革靴の手入れをするのは、女が肌の手入れをするのと同じだ。女は肌の手入れをして女を磨く。男は靴の手入れをして男を磨く。そう考えてみれば、あの数ある靴磨きのアイテムが化粧道具に思えてくる。

 

革靴の手入れをするのは、何も見た目を綺麗に保つ為だけではない。靴の寿命を大きく左右するからだ。革靴は、手入れを怠ればおそらく3年と持たない。しかし、しっかりと手入れをすれば、5年以上も長持ちする。私が所有している革靴は、かれこれ8年以上履き続けているが、まだまだ現役である。

物を長持ちさせることは、物を大切にしていることに等しい。その心を一つの美意識として捉えたならば、長年同じ革靴を履き続けている人は、物を愛する心を持つ人だ。その心は、きっとほかの物にも表れる。

革靴は注いだ愛情を裏切らない。注いだ分だけ答えてくれる。磨くほどに美しく、履くほどに馴染んでいく。そんな革靴に魅せられた男性は数多くいるだろう。

最後は、革靴のファッションの立ち位置について語りたい。
革靴は、衣類と比べ表面積が小さい。表面積の大きな服に意識がいってしまうものだ。そのため、つい油断して足元がおろそかになってしまう。しかし、どんなに服を着飾っても、靴とミスマッチをおこしていたら、すべてが台無しになってしまう。「お洒落は足元から」というのは、お洒落は靴からするほうがいい、という教えなのかもしれない。

「お洒落は足元から」。
革靴には、お洒落に対するこだわり、物を愛する心が写し出される。革靴から見えてくるのは、美に対する姿勢だ。
本当のお洒落とは、そうした姿勢に宿るものなのかもしれない。