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毎日使うご飯茶碗の魅力について語ってみた。

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「食器は料理の着物」。芸術家 故・北大路 魯山人が残した言葉である。
私たち人間が服を着て御洒落をするように、料理に合わせて食器を選べたら、食する人にどれほどの眼福をもたらすことだろう。
料理すべてに対し似合う食器をあてがうのは、口で言うほど簡単ではない。手始めに一つの食器にこだわるのがいいだろう。数多くある食器類の中から、一つこだわるとしたら何が良いだろうか。
私はその一つにご飯茶碗を推薦する。なぜなら、日本人なら1日に1回は手にする馴染み深い食器だからだ。
料理の着物である食器。その着物の一つであるご飯茶碗について、今日は語りたいと思う。

艶やかな白い光沢を放つお米。日本人はお米を長らく愛してきた。日本人ほどお米を愛する国民は、ほかにはいないだろう。そんなお米をよそうご飯茶碗にはやはりこだわりたい。
普段何気なく使うご飯茶碗を気に止めてまじまじと見ることは少ないだろう。しかしこの日本茶碗の美に気づくことで、ご飯はより美味しく、食事はより愉しくなる。

ご飯茶碗は、ご飯の色に合わせて使い分けると、ご飯がより美味しく見える。
たとえば、栗を混ぜたご飯には、温かな薄い黄色味のあるご飯茶碗が良く似合う。栗の色と茶碗の色が相まって、食欲を掻き立ててくれる。ご飯の色に合わせてご飯茶碗を揃えたいものだが、それもまた大変だ。まずはよく盛るだろう真っ白いご飯に合わせたご飯茶碗を見つけるべきだ。

ご飯茶碗と言えば、外側に柄が描かれ内側は真っ白い磁器のものが多い。磁器も良いが、土風味の残る陶器もなんとも言えない味わいがあり、いいものだ。かくいう私も、唐津焼(陶器)のご飯茶碗を愛用している。灰色の渦模様の中に若干の土錆の色が混じり、なんとも言えない風合いが、白いご飯を栄えさせる。
唐津焼に限らず、陶器は長い年月を使うことで、徐々に色が変わり、ひび割れもする。しかしそれも含めて味わい深い。

私自身、唐津焼の茶碗を買うのに、何度もお店に足を運んだ。実際に茶碗に触れて、感触や重さ、手触りを確かめ、幾度となく吟味して、ようやく一つの茶碗を購入したのだ。価格云々で悩んだわけではない。何年もの間、毎日の食事を共にする食器だからこそ、心から納得したものを選びたい。だからこそ悩む。

陶器は割れものだ。落として割ってしまう時もある。
そんな時、日本茶碗の愛好家は買い替えるのではなく、修理を依頼する。割れたご飯茶碗と破片を、純金を用いた〝金継ぎ“という技法で継ぎ合わせ、蘇らせる。継ぎ合わせた部分には金色の線が入る。金色に染まった割れ目部分は不自然さがなく、あたかも前からあったかのような文様に見えてくる。そうして、昔の面影を残しつつ、新しいご飯茶碗となって主人の元へと帰ってくるのだ。(詳しく見たい方はこちら、http://po6.nsk.ne.jp/~nusiya/syuuri/syuurimattyaokimono.htm

吟味して選んだ茶碗。だからこそ美味しくご飯を食することができる。そして長く愛用するからこそ、思い入れが強くなり、たとえ割れても買い替えずに修理する。
食事は、生活の中で最も安らぎをもたらすひと時だ。そんなひと時に色を添えてくれるのが食器であり、その代表がご飯茶碗なのである。

ご飯茶碗は、ただご飯を盛るだけの道具ではない。食事という時間を彩る芸術品である。たとえ、どんな芸術品でも、使う者が自ら悩み吟味し選んだものでなければ、使う者の目に美は宿らないだろう。
ご飯の着物(食器)も一緒に愛でてこそ、初めて本当に美味しいご飯に出合うのかもしれない。

 
 
かじゅあるらいふ 飯碗 白 12cm 美濃焼 縞一珍 白唐津 K12199

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